彼女のために料理をつくったら楽しくない?
先生:さて、今日は何の相談でしょうか?
太郎:食事についてですね。
先生:食事のことは栄養士に聞いたほうがよいのでは?
太郎:いえ、これは先生に聞くべきことなんです。
先生:お力になれるようであれば是非聴きましょう。
太郎:先日、彼女が体調が悪かったので、僕がご飯を作ったんです。生姜とニンニクを多めにいれた野菜たっぷりの鍋料理ですね。
先生:それは、風邪気味のときには嬉しいプレゼントでしょうね。
太郎:ええ、僕もそういうつもりでつくったんです。でも、何かが足りない。
先生:スパイスですか?
太郎:いえ、僕の中の感覚なんです。
先生:感覚というと?
太郎:彼女のために頑張ったのに、なぜか、笑顔になれないんです。
先生:それは、彼女と一緒にいるときですか?
太郎:ええ。むしろ、彼女が気づいたんです。僕が楽しくなさそうだって。
先生:楽しくなかったのですか?
太郎:どうだろう。楽しいとか、楽しくないじゃなくて、彼女が元気かどうかが気になっていました。
先生:そうだったんですね。彼女は元気になったのですか?
太郎:ええ、元気になっていました。あとは喉の調子が万全になれば大丈夫そうです。
先生:それは良かった。でも、あなたは満たされた感じがしない。
太郎:そうなんです。彼女のために尽くしたはずなのに。
先生:彼女のために尽くすことは、太郎さんの喜びなのですか?
太郎:そうですね、それが夫としての務めだと思います。
先生:でも、あなたは楽しくなかったのでしょう?
太郎:それが僕の悩みなんです。彼女のために尽くした。それなのに、楽しくなさそうだと彼女は言う。でも、誰かのために尽くすことは「楽しい」のでしょうか?
先生:それでは、実際はどんな感覚だったのでしょうか?
太郎:「ほかに何かできることは?」という仕事をこなす感覚でしょうか。
先生:喜びが溢れるという感じとは違いそうですね。
太郎:そうですね。どちらかというと、仕事を一つ終わらせたので、ほかに残っているならば、それを片付けてしまおうといったところでしょうか。
先生:そのときは、彼女のために尽くそうというのが根本にはあったのでしょうか?
太郎:ああ・・・いえ、そうではなかったかもしれないです。
先生:違う動機に心が移っていたのですか?
太郎:そうですね。仕事をやるときの集中している感じを続けたいということだったのかな。
先生;最初は、彼女のために料理を作ってあげようと考えていたのだけれど、それをしているうちに「家事」に集中している感覚それ自体のほうに心が惹かれていたのでしょうか。
太郎:そうだったのかもしれません。でも、彼女は僕と一緒に楽しい時間を過ごすことを望んでいました。
先生:でも、あなたは集中を途切らせるのが勿体ない感じがした。
太郎:そうですね。楽しくなさそうだと言われると、余計に意固地になってしまって。
先生:大丈夫ですよ。前にも言ったでしょう。「失敗」という言葉は「チャンス」という言葉に置き換えてください。今回は、どんな「チャンス」があったと思いますか?
太郎:彼女ともっと楽しく過ごすためのヒントがありそうです。それを突き止めれば「チャンス」になりそうです。
先生:今回のヒントを一言で表すとしたら?
太郎:手段の目的化でしょうか。
先生:どういうことですか?
太郎:僕の目的は彼女を喜ばせることだった。その手段は、美味しい料理をつくることだった。でも、それをしているうちに、家事をテキパキとこなす達成感を得ることが目的になってしまった。それで、彼女を喜ばせるという本来の目的を忘れてしまった。
先生:そういう状態になったあなたを、彼女は「楽しくなさそう」だと表現したのでしょうか。
太郎:そうだと思います。でも、指摘されたときは嫌な気持ちになって改善できなかった。
先生:罪の意識を持つ必要はありませんよ。何度も言いますが、これはチャンスなのです。これから、どうすればよいと思いますか?
太郎:彼女に聴いたほうがいいですね。料理をつくってほしいと彼女が言えばそうするし、一緒にいたいと言えばそうする。目的がそこにあったとすれば、まず理解に徹するほうがいい。
先生:そうですね。ただし、あなたが何をしたいのかを彼女は聴いてくれるのですから、自分の気持ちを置き去りにしてはいけませんよ。彼女があなたに尋ねたときは、素直に表現するのですよ。
太郎:わかりました。ああ、なんだかスッキリしました。ありがとうございます。
先生:またいつでも来てください。遠慮はいりません。
結婚の「満足」と「不満足」
誰しもが幸せな結婚生活を送るためには何が必要なんだろうと考えます。では、「幸せ」になるためには、何が必要なのでしょうか。
まず、「幸せ」になるためには2段階あります。第1段階は「不満がないこと」。第2段階は「満足すること」です。当たり前だと思うかもしれませんが、実は、このように考える人は少ないのです。一体、どういうことでしょうか?
多くの人は、結婚に対する満足感を、「満足 ー 不満足」という一つの次元でとらえています。たとえば、収入が低いと「不満足」ですが、多くなると「満足」だということです。しかし、実際には違います。収入が多くても、結婚生活に「満足」していない人はたくさんいます。
本当は、こう考えるべきなのです。すなわち、結婚生活に満足するための条件と、不満足をもたらす原因とは別個のものだということです。だから、結婚に「不満」を感じたら、その原因について考えるべきですし、結婚に「満足」したいならば、それとは別のことを考える必要があるのです。
では、具体的には「不満」と「満足」を決めるものは何なのでしょうか?ここでは、主な項目を具体的に列挙してみることにしましょう。
【満足の条件】
①達成:結婚生活で何かを成し遂げるという達成感を体験する
②承認:自分のやっていることが結婚相手から認められたとき
③成長:結婚生活を通じて自分の成長が実感できたとき
【不満足の原因】
①分担:家事の分担が不公平である
②生活:世帯収入が低い
③関係:不健全なコミュニケーション
たとえば、夫の収入が低いにもかかわらず、彼が家事をやってくれないとすれば、妻は「不満」を感じるはずです。それでは、収入が高く家事も負担してくれる夫であれば「満足」でしょうか。そうではないのです。「ちゃんと稼いでるし、家事もやってるんだから文句言うなよ、幸せだろ?」ということにはならないのです。
これは、言われてみると当たり前のことですが、多くの人が見逃しているのです。すなわち、収入の多寡や家事分担だけが夫婦の問題ではないのです。私たちが結婚生活に「満足」するためには、別の条件が必要なのです。
結婚と人権意識とその先にある実践
結婚については「LGBT」や「夫婦別姓」のように人権問題として捉えがちです。もちろん、それも大切なことですし、僕個人は、夫婦別姓も同性婚も(法律改正等の手続き的な煩雑さをさておくならば)「シンプルに個人の選択の問題」だと思っているので賛成です。
しかしながら、そもそもどうしてそういう「選択」をするのかというと、ざっくり言ってしまえば「幸せになるため」のはずです。だとすれば、結婚についての人権意識の高い人は、ど真剣に「幸せな夫婦のあり方」についても検討し、それを体現し続けることも「選択」をした人間としての「責任」の一つだと考えてもよいのではないでしょうか。
本来、物事というのは「選択」をした後に「実践」があります。「実践」がなければ、うまくいきません。言ってしまえば「選択が2割、実践が8割」です。幸福感につながるのは選択ではありません。実践です。責任というのは、畢竟「何をして、何を得たのか」ということに尽きます。
実践の伴わない選択に価値はありません。「隗より始めよ」ですから、まずは自分が結婚という「選択」をした後に「実践」を積み重ねて、こんなに幸せになったのだという「実感」を更新しつづけていく必要があります。その先に、そういう人生を「選択」することさえできない人がいるだなんて、そんなの理不尽だという義憤が芽生える。
そこまでいったら「ホンモノ」じゃないか。あとは、政治や法技術の問題になりますが、そこまで行き着くだけでも大変なことなのだと、僕は思います。
「愛情」と「友情」どちらが大切か
夫婦関係が続くためには、夫婦満足度が高くなければならない。では、夫婦満足度を高めるためには何が必要だろうか。ここでは、越智啓太『出会いと別れをめぐる心理学』に掲載された研究を参照して検討してみよう。
越智氏は、交際満足度を向上させる要因として以下の3つの要素を想定する。
①愛情
②友情
③尊敬
そして、これらの要素がそれぞれ交際満足度に対してどのような影響を与えているのかを検討している。結論としては、以下の通りとなる。
① 愛情と交際満足度の間には直接的な関係は存在しない
② 一方で、尊敬と友情は、交際満足度に影響を与える。とくに、友情の影響は大きい。
③ 愛情は、尊敬と友情に影響を与えることで、間接的に交際満足度に影響を与える。
あえて乱暴にまとめれば「愛情よりも友情が大切だ」ということになる。しかし、本当にそうだろうか。
越智氏は、愛情を以下のような尺度を用いて測定している。
(1) ◯◯さんを独り占めしたいと思う
(2) 私は一人でいるといつも◯◯さんに会いたくなる
(3) ◯◯さんのことならどんなことでも許せる
上記(1)〜(3)の尺度を7段階で評価するのだが、それで「愛情」が豊かだと言えるだろうか。私にはそうは思えない。私が考える〈愛情〉とはそういうものではないからだ。
越智氏が想定する愛情は「あなたは独占めしたい」というものだ。しかし、これは執着といったほうがしっくりくるのではないか。そして、相手から執着されたら「鬱陶しい」と感じて交際満足度は低下すると考えるのが自然ではないか。
いっぽうで、越智氏は友情を以下のような尺度で測定している。
(A) ◯◯さんと一緒にいると落ち着く
(B) ◯◯さんと遊びに行くのは楽しい
(C) ◯◯さんから信頼されると嬉しく思う
これらの尺度について YESならば「友情」が豊かだということになる。そして、これらの尺度は交際満足度に対してプラスに働くことは素人でもわかる。
結果として「交際満足度に影響を与えるのは愛情ではなく友情だ」という結論が導かれる。しかし、これは「そんなの当たり前だろ」ということにならないか。愛情という言葉を恣意的に切り取っているからこそ、自ずとそのような結論に至るということではないのか。
越智氏は犯罪心理学者なので、愛情を執着と捉えた上でストーカーが発生する原理などについて研究したいという動機があるのかもしれない。それはそれで有意義なことだが、愛情という言葉を誤って定義している印象を受ける。
それでは、愛情とは何だろうか。執着とどう違うのだろうか。この点については、また別の記事で検討することとしたい。
参考文献:越智啓太『恋愛の科学』(実務教育出版、2019)
結婚の精神的利益:安全基地
結婚生活がうまくいく理由は「利益」であり、そのうちの一つは「精神的利益」である。そして、精神的利益の最たるものが「安全基地」だ。本記事では、安全基地とは何なのかについて検討しよう。
たとえば、子供をLEGO LANDに連れて行って、いろんなLEGOで遊べるエリアに着いたとしよう。両親としては、子供に「行っておいで」というだろうが、子供は「パパとママはどうするの?」と聞くだろう。
両親が一緒にLEGOで遊ぶこともあるだろうが、多くの場合は「近くで見守る」ことだろう。そして、これが子供にとっての「安全基地」となる。すなわち、子供にとって、両親は自分のことを100%見ていてくれて、何かあったら助けてもらえるとわかっている存在だということだ。
安全基地としての人間関係が存在するからこそ、子供たちは安心してLEGOに夢中になることができる。これに対して、両親が「夢中だから大丈夫そうだね」と夫婦でトイレに行ってしまい、子供がそれに気づくと、LEGOで遊んでいる場合ではないだろう。
このように、子供たちが見知らぬ場所で新しいことに取り組んだりする場合には、何かあったら助けてくれると信じられる人間関係が必要になる。そして、これは大人にも当てはまることなのだ。すなわち、自分が目標に向かって努力したり、新しいことに挑戦するときに「大丈夫だよ」と励ましてくれるパートナーがいれば、頑張れるということだ。
これに対して、自分が挑戦したいことについて話したときに「何をバカなことを言ってるの?」と言われたり、失敗したときに「だから言ったじゃない」と怒られてしまうようなパートナーであれば、どこかで頑張ることをやめてしまうかもしれない。常に不安と隣り合わせでの挑戦になってしまう。
まとめよう。新しいことに取り組んだり、目標に向けて努力するときには、そんな自分に「大丈夫だよ」と言ってくれて100%見守ってくれるパートナーが必要になる。そして、そういう関係のことを「安全基地」といい、これこそが結婚がもたらす精神的利益の最たるものなのである。
しかし、夫婦は往往にして互いに「安全基地」としての役割を果たせていないことが多い。では、どうすれば「安全基地」としての機能を互いに果たすことができるのだろうか。この点については、別の記事に譲ることとしよう。
経営者の婚活支援について
じもとホールディングス傘下の仙台銀行ときらやか銀行は、結婚相手紹介サービスのIBJと提携し、取引先企業で独身の経営者などをIBJに紹介するとのことだ。
婚活支援を手がけることで、企業の円滑な事業承継につなげたいというが、実態は「儲かるかもしれないと思った」ということだろう。
金融商品の販売による手数料収入などが伸び悩む中で、人材紹介等の貸付とは異なる文脈での収益源を模索しているということになる。
しかし、営業担当者からすると「やってられないよ」ということにならないだろうか。取引先の経営者に「結婚とかってどうなんですか?」なんて余計なお世話だ。それに、そういうプライベートな話で切り込んでも許されるのは、エリート営業だけだろう。
さらに、経営者はそもそも母集団が少ない。婚活ビジネスは、婚活アプリのような「ストック型ビジネス」と結婚相談所のような「フロー型ビジネス」があるが、本件はフロー型ビジネスになる。ようするに自転車操業ということだ。
自転車操業なら、安定的に売上高が伸びていって損益分岐点を超えることがイメージできなければいけないが、今回のボトルネックは「取引先が増えて独身の経営者とコンタクトできること」になる。しかし、そんな前提条件が揃うとは思えない。
そんなわけで、仙台銀行ときらやか銀行の今回の事業は、おそらく3年以内に終了するだろう(うまくいかないからだ)。IBJとしても、もっと異なる形で婚活ビジネスの販路拡大に挑むべきだ。
男性の育休取得について
マーケティング関連のスタートアップ、インサイトテックの調査で、育休取得が義務化されたとしても、男性の約4割が「自分は育休を取得できない」と考えていることが分かったそうだ。
取得できないと答えた人は「ただでさえ人手不足なのに、そんな余裕はない」「同僚から仕事が増えるとクレームがくる」といったような声が自由回答ではあったようだ。
それでは、日本の父親はどのくらい育児休業を取得しているだろうか。この点、厚生労働省の雇用均等基本調査によれば、1990年代後半の男性の育児休業取得率は1%未満であったのに対し、2017年の男性の育児休業取得率は5%である。男性の育児休業取得率は、少しずつ上昇していることが分かる。もっとも、その水準はかなり低いと言わざるを得ないだろう。ちなみに、OECDの統計(2013)によれば、フィンランド等の北欧諸国の男性の育児休業取得率は70%を超えている。
育休を取得することで、キャリアに影響が出る等の懸念が生じるのは仕方ないことだし、これは諸外国でも同じことだ。大切なことは、育休取得を社会的に奨励する雰囲気を醸成した上で、社内の誰かが勇気をもって育休を取得することだろう。それで「問題が起きなかった」ということになれば、本当はみんな取得したいと思っているのだから、自然体で育休取得は増えていくはずだ。
そういう意味では、育休を取得させるのは、社内のコア人材のほうがよい。末端の社員が取得すると「おまえが?」という軋轢が大きくなる。それよりも、コア人材に取得してもらって「悪いことではないのだ」というメッセージを会社側が発信していったほうがよい。
もっとも、コア人材は「俺は働いているから当然だが、ぶら下がっている奴が取得するのは気にくわない」という態度を示すかもしれない。こういう気持ちが出てくるのは、ある程度、仕方がないことだ。これについては、育休については誰もがフェアに取得できるが、あなたには給与と仕事で報いているのだから良いだろうという形で説得をすれば足りると思われる。
いずれにしても、家族を大切にする人間にとって「時間」は取り戻すことのできないかけがえのない財産だ。制度自体をつくることは、さほどむずかしいことではない。大切なことは、「取得してもいいんだよ」というメッセージをどのように社内で発信し、文化にしていくかだろう。